Monthly Archives: 1月 2010

いとこ、はとこ、みいとこ

うちの息子たちには、「みいとこ」と知り合うチャンスに恵まれている。

小さい頃、「はとこ」たちと仲良くしていて、親戚の冠婚葬祭(ほとんどの場合は葬儀)では、仲良く遊んでいた。

母たちは「いとこ」同士なのだが、ここの世代がとても仲がよかったので、子ども世代の「はとこ」たちもそれなりに交流があるのだと思う。

「はとこ」たちと頻繁に会っていたのが10歳未満の時、その後思春期はまるっきり会うこともなく、大人になってから、再び交流が始まった。

そのため、小さいときの思い出話で花が咲き、自然と交流が始まった。

母方や父方など、それぞれの家系があるので、名字がまちまちになり、一回聞いただけでは、誰がどこの親戚なのかは、よくわからない。

会うたびに家系図を書き、誰それが誰それの兄弟で、その息子で、その子どもです。などとワイワイとにぎやかに過ごす。

「はとこ」たちも、家庭を持ちはじめ、子どもがいる家庭もある。

となると、「はとこ」の子ども同士は、なんて呼ぶのだろうという話題で、盛り上がった。

今時は携帯で調べればたいていのことが判る。

で、調べたところ、「みいとこ(三従兄弟)」と言うのだそうだ。

さらに、その子どもたち同士は「よいとこ(四従兄弟)」さらに「ごいとこ(五従兄弟)」と続くそうである。

私の「みいとこ」に当たる人は誰なんだと母に聞いてみたところ、「そもそも「みいとこ」の関係に当たる親戚は誰なんだ」ということで、結構悩んでいて、考えあぐねたすえ、親戚筋は判ったが、同世代の縁者は存在しないとのこと。

「みいとこ」という言葉も初めて聞いたが、「みいとこ」が出会い、仲良く遊び、交流が始まるという事は、結構すごいことなのかもしれない。

残念ながら、私が「はとこ」の娘に会っただけで、「みいとこ」同士の対面は果たされていないのだが、今夏、その対面が実現する予定である。

今夏は葬儀ではなく「宴席」の予定なので、「みいとこ」の交流も宴席の一つに加えたいと考えている。

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車から煙がモクモクと

車のエンジンルームから、白い煙がモクモクと出てきて、一瞬パニックになった。

エンジンスターターが燃えていた。

車をスタートさせて、ほんの少し走ったところで、座席の下から「パン!」と、何かがショートした音がした。

その後エンジンの調子が悪くなり、慌てて惰性で家まで戻ってきた。

で、エンジンを切って車のキーを抜いたら、エンジンスターターが「カッカッカッカッカッ」と勝手にエンジンを掛けている!

車のカギは手に持っているのに、車が勝手にエンジンを掛けようと努力している!

いつの間にナイトライダーに進化したのかと思った。

しかしナイトライダーではないうちのエスティマは、エンジンが掛からなかった。

とはいえ、スターターが回りっぱなしでも都合が悪いから、キーを入れてエンジンを掛けて、車やさんに電話を掛けた。

とりあえず、「エンジンを切ってバッテリーを外してください」という指示。

エンジンを切って、工具を持ち出しに車の後ろへ、

その間もエンジンを掛けるべく、勝手にスターターを回し続ける、ナイトライダーのなり損ない。

で、工具を持ってバッテリーの場所へ行こうとしたところ、白い煙が吹き出してきた。

エンジンが掛からない事に苛立っていたのかもしれない。

そして、勝手に電源断。そのうえ煙はさらにモクモクと。

まるでドラマかコントのようにものすごい量の煙がわき出してきた。

火が出なかったのが不幸中の幸い。

スターターが何らかの原因で焼き付いてしまったようだ。

それにしても、初めての煙体験。あまりに勢いよく煙が出てきたため、慌ててしまって写真を取り損なった。

ツイッターで「煙りなう」とつぶやきながら、写真を撮って、ブログにアップしないと、今時の若者とは言えないのだろう。

費用がいくら掛かるか、どきどきです。

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認知という問題

認知という問題は、これまた難しい。

餅 -> のどに詰まる可能性がある。

飴 -> のどに詰まる可能性がある。

ゼリー -> のどに詰まる可能性が無い、と思っている。

蒟蒻 -> のどに詰まる可能性が無い、とたぶん思っている。

おもちゼリー -> ねばねばしていたら、のどに詰まるかも。

飴ゼリー -> ゼリー状なら、危なくないかも。

蒟蒻ゼリー -> そもそも危なくなさそうだから、平気でしょ。

三段論法ではあるが、このように認知される可能性は大きい。

すでに認知されている事柄、

この場合「餅はのどに詰まる可能性がある」が、前提の場合は、

多少なりとも、危険性を感じる。

認知されていない事柄、

「ゼリーは危険とは思っていない。」

この組み合わせだと、安全な方に傾いてしまう。

危険回避行動が、たやすく取れないのは、認知度によって、「大丈夫だろう」という方向に傾いていってしまうからに他ならない。

そのため、何度も何度も繰り返し、危険をアピールし、場合によっては体験を交えて、認知度を上げていく方法が必要だろう。

しかし、すでに安全だろうと認知されている事柄を組み合わせたものに、「危険」という認知を植え付けるのは、とても難しい。

なぜならば、組み合わせる元の物、この場合は「ゼリー」と「蒟蒻」が、危険という認知にならないからだ。

だとするならば、蒟蒻ゼリーという製品名の一考が必要だろう。

また、形状も検討する必要があるだろう。

命名も商品も秀逸であり、かつ独創的商品ではあるが、危険回避という視点では、自らのリスク管理が出来てなかったように思われる。

安全対策とは、あらゆる視点からの考察が必要であり、すべてを満たすことは不可能だとは思う。

しかし、利用する人、食する人、多くの人の中には、相当オバカチンが存在することを認識しないといけない。

オバカチンが「頭が悪い」と言っているのではなく、思いも寄らない考え方が普通に存在するということだ。

作る側は、自らの常識の範囲で作るのだから、その範囲外の常識を、常に意識しないといけないと言うことである。

今、見えている空が本当に青いのか、寒いと思っているこの空気は本当に寒いのか、

疑うのではなく、どのように認知されているのかが、大切だと思う。

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